同じ鼻を、男性には持っているものを、女性には連れ添う人を語りました。
このトラックは男性の人相学・女性の人相学という二つの道に分かれています。ですが、ここまで進んでこられて 解釈が性別によって分かれたことは、一度もありませんでした。目は誰にとっても監察官であり、鼻は誰にとっても大黒柱でした。
では、なぜ分けてあるのでしょうか。この単元のせいです。昔の人相は実際に性別で分けて読んでおり、その慣習は今も生きています。それを従うためではなく、知っておいていただくために、一つの単元を設けました。
まず、はっきりお伝えしておきます。Glowyは性別によって解釈を変えることはありません。 以下は、昔の文献や今日の文章が何をどう語ってきたかを紹介するものであり、そのように読み解くという意味ではありません。
最も分かりやすい例が鼻です。男性の鼻は財帛宮、つまり自分自身の財として読みました。女性の鼻は夫星、つまり夫の条件として読む言い方が今も広く使われています。注目すべきは部位そのものが違うということではありません。同じ鼻を、男性には「持っているもの」、女性には「連れ添う相手」と言い換えて語るという点です。
ちなみに夫星はもともと人相学の用語ではなく、四柱推命の用語です。『三命通会』の女命の項にそうした記述があり、後に人相学へ持ち込まれたと見られます。「女性の鼻はすなわち夫星」と断言した古典の相書原文では確認できませんでした。
男性の側を「有利だった」とまとめるのは半分だけ正しいです。正確には何に換算されたのかが違っていました。男性を読むときの代表的な項目は官禄宮(額、官職と名誉)、財帛宮(鼻、財)、そして寿命と貴賤の判定でした。相書全体の語彙が貴格・賤格に分かれるのも目を引きます。成し遂げたものがなければ貧賤相と呼ばれました。
ですがここでよくある誤解を一つ解いておきます。「男性は成就で、女性は関係で読まれた」という きれいな二分法は事実ではありません。 十二宮には父母宮・兄弟宮・妻妾宮・男女宮もあります。男性も関係によって読まれたのです。
むしろより重要な手がかりがそこにあります。妻妾宮の口訣は男性を語り手に据えて語られています。「妻を娶り財産が増える」「妻を害する」といった具合です。性別を明示しない記述こそが、 実は男性を前提にしていたという何よりの証拠です。
十二宮の名前を一度並べてみましょう。命宮・財帛宮・兄弟宮・田宅宮・男女宮・奴僕宮・妻妾宮・疾厄宮・遷移宮・官禄宮・福徳宮・父母宮。妻と妾を持つ者、使用人を使う者、田畑と家を持つ者、官職に就く者を想定したリストです。(ただしこれは名前から導いた私たちの解釈であり、相書が「男性を基準に書く」と明示しているわけではありません。)
つまり男性の顔はデフォルト扱いを受けていました。わざわざ「男性編」を設ける必要がなかったわけです。女性編が別にまとめられたのは、女性が特別だったからではなく、標準ではなかったからです。
では女性の側はどうだったのか。伝わる『神相全編』の版本目次を見ると、女性を扱う篇が巻9に集中しており、その中には妨夫論(夫を害する相)・夫婦相剋論・産育といった篇名が並んでいます。夫の運と出産が独立した項目になっていたわけです。
ただ正確に言っておきます。「配偶者を害する相」という発想が、女性だけにあったわけではありません。先ほど見た妻妾宮の口訣にも、男性を主体とした同じ種類の判定があります。違いは概念の有無ではなく、女性の方だけが別の篇としてまとめられたという編集上の比重にあります。
そしてここで、「男性も大変だった」で締めくくるつもりはありません。 人相の判定は男女どちらにとっても 評判の問題でした。しかし、女性の側には、その外側に国家の法が別に存在していました。1477年の寡婦再婚禁止、《経国大典》の子孫禁錮の規定、名前を記録に載せる録案。「貧賤の相」と呼ばれることと、息子の科挙受験が閉ざされることとは重さが違います。 この非対称さまで語ってこそ、この単元は正直なものになります。
最後に、これは昔の話では終わりませんでした。今も「夫を成功させる女性の人相」「子宝に恵まれる女性の人相」といった記事はよく見かけます。ですがそういう記事のタイトルをよく見ると、しばしば女性ではなく「こんな女性に出会え」と、男性の読者に呼びかけます。この単元を男性トラックに置いた理由はここにあります。その文章が想定する読者が自分だとしても、その言い回しを受け継ぐかどうかは自分で決められるからです。
まとめるとこうなります。昔の人相学が性別によって読み分けたのは事実です。そしてその分かれ方は人相理論から生まれたのではなく、その時代の社会構造から来たものです。理論ではなく慣習だったのです。
だからGlowyはトラックだけを二つに分け、解釈は分けません。前の単元で妻妾宮の名前に触れ、女性の額を夫の運勢として読んでいた慣行に触れ、桃花の烙印の歴史に触れたのも同じ理由からでした。触れるが従わないこと。それが昔のものを今日学ぶ一つの方法だと考えています。
伝統的な人相学に基づく参考・娯楽目的のコンテンツです。外見に順位をつけたり、決まった運命を明かすものではありません。